2010年3月6日土曜日

子ども達、若者たちへ その1

今日は教会の女性会で話し合いがあり「若者に元気がないので、どうにか元気を出してもらうために何か出来ないものか」と議論されたとのこと。
これをしたら、あれをしたら、色々と意見が出たそうである。

私は長い間中高生クラスの担当をしているが、自分の子供のころのようにしても駄目なんです。
学校の様子を見れば分かることで、昔の学校では先生が「右向け、右」と言ったら子ども達みんなが右を向いたのだが、今は「何故、右を向かなくてはいけないの?」「みんなが右を向く必要ない、個性を損なう」「そもそも先生には俺たちに命令する権利はない」など、こんな感じではないだろうか?

今となっては、全体で同じことをしようとすることは難しいのです。
個別対応となるわけですが、私は中学時代にバスケットをやってデフェンス方法にゾーンとマンツーマンがあり、マンツーマン、つまり個別対応のほうが圧倒的に疲れるのだ。
大人たちが、子どもに個別対応しなくてはいけないのだ。
本来ならば親がやっていることではあると思うが、昔の親は子どもに"みんなと上手くやれるように"してあげればよかったのです。
しかし、今の親に求められるところは、子どもをよく知り、その個性を伸ばすための指導・教育をしなくてはいけないのだ。
子どもがやりたい事をさせると言うこととは違うが、子どもがやりたい事と同じ場合もある。
特性・個性、性格、技量、興味などをよく見て、分析し、個性を伸ばしてあげなくてはいけない。
それが出来ている親がそれほどいるとは思えません。
私はこの辺には自信があるのですが、個人主義が強すぎて三人の子どものうち上と下、特に下は団体行動には向かない子どもに育ててしまった(しかし、今はその息子が吹奏楽部で頑張ってる)。

少々わき道にそれたが、今の子どもには親でも難しい個別対応が必要です。
子どもたちみんなに向かって「良くやったね」と言っても響かないのだ。子どもたち一人ひとりに具体的な言葉で「良くやったね」と言ってあげないと届かないのだ。
・個人的に具体的に子どもを誉めると、すごく嬉しいようだ(それは昔も同じか)。
そういう意味では、いつでもアンテナを張っていないと出来ない。

左右、上下、前後、あらゆるところを向いているのが今の子どもなので、一つのことには当てはまらない。
だから、もっと小さい範囲での何かを数多くしないと、ヒットしない子どもが出現してしまうのです。

個別には手を差し伸べられるとしても、個別のままでは冒頭の「若者に元気がない」を解決できるわけではない。
さてどうしたものか? 
私的には、日本人の特性と信仰がキーだと思うのだが、それはそのうち、   つづく

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