2010年3月9日火曜日

君は何になりたいのだ?

我家の子どもたちは、中学の2年生頃になると必ず「君は何になりたいのだ?」と私に聞かれる。

これは私自身の経験から、自分自身に「医者になりたい」「弁護士になりたい」とか目標がない場合、漠然と年をとっても何も目標は出来なかったからだ。
だから、自分で「自分には何が向いているのか」「自分は何になりたいのか」を考えてみないといけないと思うのです。
また、「なりたいもの」という目標に向かって歩めるだけでも、方向性が存在するし、フラフラとよからぬ所へ行くリスクも軽減できる(なくなりはしない)。
よって、「サラリーマンになりたい」でも一応よいのだが、何の、どんなサラリーマン(商社マンとか)になりたいのか具体性を求めることとなるだろう。

一旦子どもが「何になりたいか」を表明すると、お父さんである私は全力でそのための準備をする。
この辺の情報収集能力は我ながら感心するし、周りからも「すごい」と言われる。
しかし、実際に目標に到達するために努力しなくてはいけないのは本人であるので、たまに尻を叩くことはあっても、あとは本人しだいなのである。

この話しをすると、親である人の多くは「何になりたいか決めてしまって、それにならなかったらどうするの?」と質問する。
また「だいたい25・6歳~30歳にならないと、やりたいものや自分の人生の目標なんて見つからないよ」とも言われる。
しかし、20歳代後半ともなればたくさんのしがらみが付き、体は重くなり、やりたい事に向かって自由に突っ走ることは難しくなる。
私はティーンズの時に目標を持てれば、ティーンズで基礎固め、20歳代でチャレンジとちゃんと段階を踏んで目標に向かえると考える。
30歳で目標を見つけることはもう遅い、とは言わないまでも、そこから歩むことはけっこう難しい。
社会人としては一番勢いのあるときであって、流れに乗っていて当然の時に、そこで改めて見つけた目標によっては向かうことはそれ自体がとても難しい。

こんな我家で、
長女は、中学時代には自分のやりたいものは見つからなかったが、文章を書くことで自分を表現したい漠然とは思っていた。
高校から大学を選ぶ時、ここまで来ると何になりたいかを見越して大学を選ばないといけない。
長女は、音楽雑誌や音楽業界のライターになりたいと目標を持った。
これかはなれる確率がとても低い職業である。いきなり出版社に就職してライターになるなんて、まず無理だと思う。しかし、目標を持ったのだ。
親とすれば「そんなのなれないので止めなさい」とも言えるわけですが、目標に向かって努力して到達できなくても何も残らないわけではないのだ。無駄ではないと私は思っている。
また、いきなり出版社に就職してライターになった人よりも、業界で働いていてチャンスが来たときにライターになった人のほうが多いと思う。
今、長女は某大学で音楽ビジネスを学んでいる。今年の夏には就活に突入しなくてはいけない。

次女は、中学2年のときに、私に聞かれる前に「ホルンの演奏家になりたい」と目標を表明した。
親とすればビックリだが、運がよいことに妻の姉は音大を卒業して音楽教師をしていて、その子も音高-音大ときてピアノ教師をしているので、専門こそ違えども、どんなことをすればよいのかはある程度分かる。
結局次女は、すんなりとは行かなかったが、上記の子(次女の従姉妹)が通った公立高校の音楽科へホルン専攻で通っている。
ホルンを吹くようになったきっかけ、第一志望の音高に合格するまでの道のり、出会った先生、環境などを考えると、私はどしても神様が次女に与えてくれたものだとしか考えられない。
来年の今頃は藝大を受験していると思う。
神様に与えられたものは、神様に返さないといけない。
十分に用いられる存在になって欲しい。

長男は、小さいころは学者(生物学や古生物)になりたかった。
もともと個性の塊で自分ワールドを持ち、現代の子どもからは受入れがたい存在であったが教師に恵まれて小学校4年生までは守られきた。
しかし、小学校5年生で転校した時に彼の最悪の時が訪れた。
いじめと、それに対応できない教師という最悪のパターンに遭遇。
性格は悪いところがもっと深くなり、勉強する姿勢もなくなってしまった。
中学に入っても授業中も無関心の姿勢、宿題課題はやる気なし、売られた喧嘩だけは買う。
先生からのレッテルは、もちろん問題児である。
しかし、こんな長男も神様は見捨てなかった。
1つ目は、吹奏楽部に入りトランペットを吹き、摩擦は存在するが、周りの友達に助けられて部活動を続けてくることができたこと。
2つ目は、無関心だった中学の授業だったが、唯一美術だけには興味が持てたこと。
3つ目は、中学図書館の本は9割がた読んでしまうほど読書が好きなこと。
4つ目は、バカではなかったこと。定期テストも悪く、提出物は出さないし授業無関心で成績表は悪かったが、模擬テストなどの実力テストは英語以外の4科は点数がよかった。
高校受験するに当たって何になりたいかを聞いた。
学校運動会のクラス旗を一人で作ったり、パソコンでコツコツ自分でデザイン画を書いたりしているのは知っていたが、本人の口から「デザインをやりたい」という言葉を聞けるとは思ってみなかった。
デザイナーになりたいとしても高校ではきっちり基礎を身につけて、その上の学校へ行く時までに何をデザインをしたいのかを考えればよいと考えた私は、いくつかの高校を見つけ長男に高校訪問をさせた。
長男が一番気に入った高校は、運が良いのか悪いのか学力レベルは低かった。
内申書がメチャクチャ悪くそれだけでは合格圏に入れないが、模擬テストの結果(内申書も加味)では安全圏の一番上だった。
美術が学べるような高校は圧倒的に女子のほうが多い。
更に、数少ない男子受験者の1/3近くが不合格となってしまった。結果男子15%女子85%である。
自分の目標に到達するための高校へ入れたはよいが、不安はいっぱいである(末っ子だから?)。

ちなみに、私は大学へ入る時に教師になりたいという目標があったが、挫折してしまった。
原因は、もちろん今では考えられないほどの競争率だったこともあるが、どうしてもなりたいという情熱がなかったのが一番の原因だ。
子どもたちには「なりたい」の情熱を持ち続けて欲しい(親の勝手?)。

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